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東京帝国大学在職38年 | 平成19年2月移動・追加項目 |
年齢 | 和暦年 | 西暦 | 事 項 | リンク | |||
41 | 明治 | 31 | 1898 | 4月 東京学士院会員に推挙される | 化学実験室にて | ||
43 | 33 | 1900 | 「化学語彙」を高松豊吉博士と共に出版する(東京化学会訳語委員一同辞退に伴い会の了解を得る後創立50年記念(1928・昭和3年)著作権を移譲会から再出版された) | ||||
5月9日 七男春雄誕生 | |||||||
6月24日 6男力雄夭折 | |||||||
10月 曙町邸増改築 中庭の三分の一に納戸・東の廊下の北に六畳、二畳に押入れ増築、及び明治27年購入時既存の茶室を取壊す。(費用250円) |
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44 | 34 | 1901 | 5月〜翌年3月 欧州へ グラスゴー大学創立450年祝賀式典に参列する グラスゴー大学名誉学位(法学博士)授与式に出席する |
ガウン姿 | |||
(第一次渡航)(留学以降)横浜からエムプレスインディア号で出港 バンクーバー・ニューヨーク・クラスゴー・ロンドン着・パリ・ローマ・ネープルス・ヴィエナ・ベルリン・ライプチッヒ・ハイデルベルヒ・ベルリン・ロンドン・ |
欧州大陸旅行ルート 祝賀式典の模様 |
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45 | 35 | 1902 | 3月 安波丸にて神戸入港・汽車にて新橋着 | ||||
東京帝国大学評議員となる(明治40年まで) | |||||||
理学文書目録委員会会長となる | |||||||
46 | 36 | 1903 | 1月12日 五女満子誕生 | ||||
4月 曙町邸増改築 | |||||||
47 | 37 | 1904 | 4月 原子量基準を「酸素にすべき事」を池田菊苗博士と連名で提言する | ||||
50 | 40 | 1907 | 7月〜10月 ロンドンへ 万国理学文書目録国際会議に出席する |
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(第二次渡航)横浜から丹後丸にてシアトル・列車にてシカゴ・ニューヨーク・カーメニア号乗船ロンドンへ。帰路は鎌倉丸にて神戸・汽車にて新橋着。 | 庸生氏を迎える様子 | ||||||
東京帝国大学理科大学長に就任する | ベルリン滞在門下生からの祝電 | ||||||
12月東京帝国大学就職25年式典を小石川植物園で開催されるその奉賀金を東京化学会に寄贈「櫻井褒賞」となる | 東大在職25年記念式祝辞 穂積陳重家とのお付合い |
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51 | 41 | 1908 | 「ローマ字ひろめ会」発表の「大日本標準式ローマ字綴り方」を推奨する(略称標準式) | ローマ字ひろめ会重鎮 | |||
52 | 42 | 1909 | 2月13日 八男信雄誕生 | ||||
5月〜8月 曙町邸貸家(甲)敷地内に二階建て(約48坪)新築する。(母屋建替え時に居住する) (費用2,555円) 9月 曙町邸母屋大改造。明治27年増築部分の八畳二間と押入れを残し外を新築する。 二階の客間・書斎・階下の居間・食堂・西洋間・書斎・玄関・広間。中庭を挟み納戸・子供部屋2室・湯殿・台所・内玄関・使用人室・物置等(41坪) 翌年3月完成する。(費用6,950円) |
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12月 教員検定委員会臨時委員となる | |||||||
53 | 43 | 1910 | 3月 曙町邸貸家(乙)切り離した母屋を利用して別棟を建築する。(約36坪)(費用910円) 大正8年10月 母屋と階段廊下でつなぎ下の家と呼ばれる様になった。 |
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4月〜8月 欧州へ 万国学士院協会第四回総会出席する |
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(第三次渡航)敦賀〜乗船。ウラジオストック・シベリア鉄道でヨーロッパへ。ローマ・ベルリン・ロンドン・マルセーユから北野丸にてポートサイド・コロンボ・シンガポール・香港経由・神戸着。 | ウラジオストックから欧州へ | ||||||
ベルリン留学中の庸生・文夫妻の様子 | |||||||
櫻井褒賞が設立される | 櫻井化学研究奨励資金規定 櫻井賞メダル 櫻井褒賞受賞者一覧 |
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55 | 明治 | 45 | 1912 | 4月 甚太郎五十回忌に金沢武佐広済寺より遺骨を移し、八百と合葬する。櫻井家累世の墓を染井霊園へ移す。 | |||
55 | 大正 | 1 | 1912 | 9月 明治天皇大喪儀に参列する | 総長事務取扱としての哀悼文 | ||
9月 東京帝国大学総長 事務取扱を任命される | 総長事務取扱として署名のある卒業証書(医科大学生) | ||||||
56 | 2 | 1913 | 理学文書目録委員会会長に就任する | ||||
57 | 3 | 1914 | 1月 曙町邸内貸家増改築(階下に縁側増築・便所移設)(費用458円) | ||||
8月第一次世界大戦勃発 | |||||||
60 | 6 | 1917 | 財団法人理化学研究所設立 副所長に就任する 理事長は渋沢栄一子爵・所長は菊地大麓男爵 |
理化学研究所へリンク | |||
ストーブス女史の英訳に協力した謡曲本がロンドンで発売される | ストーブス博士の画像 英文謡曲本 |
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61 | 7 | 1918 | 7月から翌年3月 欧州へ 国際化学学士院会議に出席する |
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(第四次渡航)7月7日 横浜港から天洋丸にてホノルル・サンフランシシコ・オークランド・サクラメント・シラネヴァダ・ロッキー山脈・ソルトレイク・シカゴ・ニューヨーク・ロンドン着 12月12日 リバプールからボルチック号にてニューヨーク・ボストン・ワシントン・シカゴ・サンフランシスコ〜横浜港着 |
大戦中は食糧不足で旅行者も配給チケットが必要だった | ||||||
62 | 8 | 1919 | 1月東京帝国大学を退官する 在職38年 名誉教授になる | ||||
9月 曙町邸内貸家(甲)を宇田川氏へ売却する(170坪の借地権を田中元三郎氏に譲渡) | |||||||
63 | 大正 | 9 | 1920 | 1月 還暦祝奉加金3,000円を137名の方々から頂く。 3月〜5月 奉加金を元に書斎1棟(9坪)を曙町の自宅に増築する(費用4,590円) |
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貴族院議院に勅撰される | 正装姿 | ||||||
日本学術研究会設立 副会長に就任する | |||||||
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